唐突だが、車のエンジンがかかっただけで
泣いたことはあるだろうか。
伊坂幸太郎の小説
「ゴールデンスランバー」のワンシーンでは、
主人公が車のエンジンがかかったことに涙を流すシーンがある。
小説を読んだ人も、もしくは、映画化されたものを見た人なら、そのシーンがいかに感動的かわかるだろう。
ただ、私はその感動を文書を通して
伝えることはできない。
漫画や小説などの作品における感動は
1ページ目から、冒頭から、見ていたからこそ
本当に感動できるのだと思う。
どんなに工夫をこらして書いても
そのシーンを見た人にしかわからない、言葉にできない感覚があると思う。
漫画の名言だって、ネイバーのまとめサイトで見るのと1巻から読み続けてから34巻で出会うのでは、その人が受けとる衝撃はまるで違うものだろう。
「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」
という押見修造さんの漫画が好きだ。
ただ、この漫画を読んだ時の衝撃を私は文字にすることはできない。
あの一冊を読んだ時の衝撃をどうやって文にしたらいいか全く思いつかなかった。
いくら文を書いても、いくら考えても
その「何か」はその作品を読むことでしか伝えられないと感じた。
主人公の志乃ちゃんがラストのシーンで
「私は...大島志乃だ、
これからも...
これがずっと私なんだ」
というシーンがある。
3年前、大学生の私はそのシーンを初めて読んだ時、読んだ人にしかわからない「何か」に救われたと感じた。
今、自分が自分であるということに
圧倒的救いがなく
今、自分が自分であるということに
圧倒的に救いがある
そんなことを突きつけられるそのシーンはこの漫画を初めて読んだ3年前から深く深く突き刺さっている。
こういった、読んだ人にしかわからない的な感動は本や映画だけでなく
日常での生活にもあると思っている。
例えば
あの時、空回って
あの時、ミスをして
あの時、うまくいかなくて
あの時、頑張って
あの時、ふんばった
だからこそ、その人にしかわからない感動が訪れるのなら私はこの先のことがとてもワクワクする。
だから、伝わらない「何か」
その人にしかわからない「何か」
それが、あることは救いだよなぁと思っていたり。
新生活でちょっと疲れてしまった時に読みたい一冊。
志乃ちゃんが良かったら、次は星野目をつぶって。
momoharu302c.hatenablog.com
伝わらない話を続けるには? って話。
momoharu302c.hatenablog.com