コロコロ派か、それとも、ジャンプ派か。
小学生の頃、好きな雑誌は何であっただろうか?
私の周りではコロコロが主流で、ませている子がドヤ顔でジャンプを読んでいたような気がする。
女子はちゃお やら りぼん やらキラキラしたのみてたような気がする。
今よりも目の淀みがなく、純粋であった小学生の私にも、心待ちにする雑誌があった。
ズバリ、ニッセンのカタログである。
通販のあの本である。あのひたすらに値段と写真が続き、G 的なものを潰すのにちょうどいい重さと厚みのアレである。
今、振り返ると何が楽しくてあのカタログを眺めていたのかがさっぱりであるが、小学生の私は季節の変わり目に送られてくるニッセンのカタログを心待ちにしていた。
何故か私はニッセンのカタログを眺めて、もし、10 万円があったらどんな家具を買う。もし、自分の部屋があったら何を買う。そんなことを綿密に妄想するのが大好きだった。
今、冷静に振り返ると疑問しか出てこない。
もしかしたら、社宅住まいで自分の部屋がないことや小遣いが小学6年生にして月 150 円だったこと、親が親戚同士で結託して、互いにお年玉にあげなくていいよね同盟を結んでいたことが関係しているのかもしれない。
小学生にして「賃上げ交渉」について考えたり、駄菓子屋で10円すら出せず立ち尽くしていたら一緒にいる子からうまい棒をもらった時の情けなさについて考えたりしている小学生は同じクラスにはあまりいなかったように思う。
. . .というか、そんな小学生、普通にいやだ。
そんな訳で、部屋もなく、お小遣いもなく、お年玉もない、そんな少年時代の私は妄想するしかなかった。
その抑圧の結果がニッセンのカタログである。
友達がお小遣いやらでコロコロコミックを買っているのを他所に、
少年の私は 3 ヶ月に 1 度、無料で送られてくるニッセンのカタログを心待ちにしていた。
今、振り返ると悲しいくらいに
本当に時間を忘れて眺めていた。
クラスの友達がコロコロのコロッケの勝敗について目を輝かせていた時に、私はニッセンのシステムベット39900円に目を輝かせていた。
. . . 改めて、嫌な子供である。自分に子供ができたら、欲しいと言わずとも毎週ジャンプかコロコロコミックを家に置くこと、この文章を書いていて決めた。
そんな子供の頃のことも、10 年以上経てばそんなこと忘れるものだろう。
実際、最近までそんなこと忘れていた。ただ、そういった子供の記憶をひょんなところから思い出すものである。
昨年、ベルメゾンネットでコタツ布団を注文する機会があり、カタログを取り寄せた。
どれどれ、いいコタツ布団はあるかとページを開くとページの間からカタログ特有の匂いが、その瞬間、10 年前ニッセンのカタログを狂ったように眺めていた記憶を思い出した。
フラッシュバックとはきっとあのこと。
懐かしい匂いでフラッシュバックする記憶が幼馴染のことや祖父母の家やら遊んだ公園でもなく、ニッセンのカタログっていうのはどうなんだろう. . .
当たり前のことかもしれないが、ニッセンのカタログを眺めていたことが自分の今の状態に影響を与えてはいないみたいである。自分の将来にも何かを及ぼすこともないだろう。というか、子供時代の抑圧されたカタログ読書の影響なんて受けたくない。
だが、誰でも子供の頃なんであんなことを狂ったようにやっていたんだろうといったことの1つや2つあるのではないのだろうか?
社会人になり、一人暮らしの部屋があり、自分の収入がある今、ニッセンのカタログを見てもあのニヤニヤは湧いてこない。
ただ、確かにあの、無料のカタログを眺めるだけで、少年の私は時を忘れてニヤニヤしていた。
ニヤニヤが止まらなかった。
仕事から帰ってきて、ニッセンのカタログをニヤニヤしながら眺めて気づいたら2時間くらい経過しててまた次の日がやってくる。そんな、毎日を送っていないことに心底ホッとするが、あのカタログを開いてあの時みたいにニヤニヤすることもないと思うとちょっとだけ寂しい気もする。ほんのちょっとだけ。
もしかしたら、自分の部屋もお金もない小学生の時の自分の方が、妄想力や何もない状態で楽しむ力はあるのではと思う今日この頃。
そんな訳で、ライバルは小 6 の自分。