いきなりだが、本を読むといいことってあるのだろうか?
自慢では一切ないが、人より本を読んでいるかとは思う。
小学生6年生の頃から多い年では100冊以上、最低でも年に50冊は23歳に至る今まで読んでいるはずである。
そうなると、1000冊近く本を読んできたことになる。大学生の時は本が好きが祟ってか本屋で働いていたこともある。
読む本もばらけにばらけ、少女漫画から啓発本や経済や心理学の専門書まで多くのカテゴリーを読み漁った。そんな訳で、他の人よりかは本に寄り添い生きてきた訳だが、素朴な疑問がある。
Q.本って読むといいことあるのか?
「本を読むと読解力がついたり、国語の成績がよかったりするよね」
こんなことを聞いたことがあるが、一向に物分かりの悪い私の頭や中高生の低空飛行を続けた国語・英語の成績は一体なんだったのだろうか。
私の頭がただ単に残念だったの否めないが、
本を読むことで最低限の読解力はついたとしても「本を読む = 国語の成績が伸びる」という式は成り立たないと思う。
ソースは私の残念な頭と成績。
「本を読むといいことがあるの?」
という問いに対して1000冊ほど本を読んでも私の残念な頭にはクエスチョンマークが浮かぶ。
ただ、この文章の結論が
「本って読むといいことってあるの?」
「わかんない!」
では、残念が過ぎる。
そんな訳で、逆のことを考えてみる
「なんで、いいことがあるのかも分からずに本を1000冊も読み続けられたのか?」
Q.なぜ、いいことがあるのかも分からずに本を1000冊も読み続けられたのか?
ここで3つの仮説が挙げて考えてみる。
【仮説1】 面白い本に出会い続けたから。
【仮説2】 インプットとして?
【仮説3】読書という行為が好きだから
【仮説1】 面白い本に出会い続けたから。
結論から言うと、自分の好みドンピシャの最高の本と出会い続ける . . . なんてことはなかった。
当たり前ではあるが、どんなに選びに選んでも自分が面白いと思える本を選び続けることはできない。
個人的な感覚だと
10冊読めば6冊が面白くて
良い意味で心を抉られるような
良い意味で頭に焼きつくような
そんな本と出会えるのは15冊読んで1冊あればいいなかぁといった具合である。
ただ、だからこそ
ドンピシャな本と出会えた時の感覚は格別だし、そんな時、これだから読書はやめられないなと思うのは確かである。
そんな訳で、面白い本に出会い続けたから読書を続けられた訳ではなく
案の定、自分にとってそうでもない本もたくさん読んだけど、そんな中、自分にとってドンピシャな本にも出会うことが
読書を加速させていたような気がする。
【仮説2】 インプットとして?
本を読めば知識がつくから!それが楽しくて、役に立ったので読み続けれたのではないか?
私個人に関してはこの動機は否である。
そもそも、読む本にもよるかもしれないが、ノウハウ本や専門書を読むにしても、学術書にしか載っていないようなよっぽど専門的な知識でないのであれば、本を読むよりネットを使う方が効率的なのではないかと思う。
例えば、今話題の仮想通貨について知りたいとする。本屋さんの一角には仮想通貨について書かれた本も並んでいる。ただ、それを読み込むよりYouTubeで仮想通貨について調べるもしくはネットで仮想通貨について調べる方が手早く効率的に情報を得ることができるのではないのだろうか。もちろん、本を通して知識を得ることはできるはずだ。私自身、本を500冊ほど読み漁ったことで得られた知識もあった。だが、知識を得るということを目的とした時、他の方法の方が効率的かつ手軽なのでは?とも思う。
【仮説3】読書という行為が好きだから。
コイツ何言ってるんだと思うかもしれないが、読書という行為が私は好きだ。
本の内容とは関係なく
本を読むという動作をすることによって
日頃の考えを整理することへ繋がる瞬間がある。
悩み事があったとして
本を読んでいたら、その本の中にはその悩みを解決することは微塵も載っていなかったけど、本を読んでいたら考えが整理できて悩みなんてどうでもよくなった。
みたいなことだろうか。
たくさんの読書を重ねてみて、
日頃の考えを整理したり
物事を違う角度から考えるツールとして
読書はありなのではと思う。
ここまで、あれこれ書いてみたがなんだかハッキリしない文章になってしまった。
結局、本を読むのっていいことあるのか?
私としての答えは
何があるかは読んでみたいとわからない。
だけれども、本を読むことで思考が整理されることもあれば、心を抉るような出会いもある。
だからこそ、読書はやめられない。
追記
「読書」という行為について考えたくなったら、こちらの本がオススメ。
www.shobunsha.co.jp